書印会 池田樵舟(しょうしゅう) 書の真髄
古代中国より脈々と継承されてきた書法を
師である景嘉(けいか)より薫陶され、現代に於いて
実践している唯一の書家だと、今日まで公言したことはない。
しかしながら、数々の薫陶を授けてくださった
師のことを思うと、書たるものはどのようなものであるか、
伝えていかなければならないと思う。
景嘉は1914年に清朝八旗名門、葉赫顔札氏の後裔十一代目として北京で生まれる。
一族は代々清朝に仕え、清朝入閣時の名将頼圖康、軍機大臣として功を挙げた
曾祖父の景廉、義和団事件に殉じた将軍、祖父の毓賢など多くの顕臣を輩出した。
父毓廉は清朝の挙人で、晩年は宣統皇帝(中国大清国第12代にして最後の皇帝、
溥儀(ふぎ))の家庭教師をつとめた。
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古代中国より脈々と継承されてきた書法を
師である景嘉(けいか)より薫陶され、現代に於いて
実践している唯一の書家だと、今日まで公言したことはない。
しかしながら、数々の薫陶を授けてくださった
師のことを思うと、書たるものはどのようなものであるか、
伝えていかなければならないと思う。
景嘉は1914年に清朝八旗名門、葉赫顔札氏の後裔十一代目として北京で生まれる。
一族は代々清朝に仕え、清朝入閣時の名将頼圖康、軍機大臣として功を挙げた
曾祖父の景廉、義和団事件に殉じた将軍、祖父の毓賢など多くの顕臣を輩出した。
父毓廉は清朝の挙人で、晩年は宣統皇帝(中国大清国第12代にして最後の皇帝、
溥儀(ふぎ))の家庭教師をつとめた。
溥儀には二十歳の時に拝謁し、その後溥儀より日本留学の論旨を拝す。
日本には早大専門部をへて京大で法律専攻、戦後は台湾で役人を勤め、
1956年に日本に亡命。中国の伝統的なものすべてを兼ね備えた人物である。
当時中国人として最高の知識人と言われ、日本で中国文学者として
最高峰であった吉川幸次郎に教える程の文学者であった。
私が景嘉氏に師事を得たのは19歳の時。
その後約8年に渡り直接指導を受け、生涯において最も充実し、
影響を受けた時期であった。
私は京都出身で、高校時代に書道の世界に入った。
18歳の時に上京して、ご縁をいただき景嘉氏から師事を受けることとなる。
この時、東山樵子(とうざんしょうし)の4文字の号を書名として授かり、
略して、東樵(とうしょう)と名乗る。氏が他界した後は、篆刻の
日展受賞者である鈴木般山氏から師事を受け、樵舟(しょうしゅう)の号を与えられた。
この時から篆刻では樵舟を使う。
杜甫の詩「雨」に登場する人物、樵舟を名前に付けたそうだが、
樵舟の樵は近代、そまびと、という。樵舟とはきこりのことで、
山から木を船に積み、人々に与える人のこと。
雅号の意味に、書を人々に教え伝えることを願っていたのだろうか。
冷たく忌み嫌われる雨は、中国では縁起のよいものとされる。
水気・雨が生じるところは、鯉や龍が生まれ、鯉は登竜門になぞらえる。
鯉が滝の勢いを受けながら上に登るというのは大変なことであり、
その勢いから鯉がやがて龍に変わるなどといわれている。
杜甫の重々しい人生観は、どことなく共感できる。
人生において、自分の意思とは不本意に、避けられないことは
多々あることだ。
杜甫は生涯において非常に貧しかった。
しかし、残された詩に示されるように、心まで貧しかったとは言えない。
むしろ心が豊かであるからこそ、心打たれる詩が生まれたのではないか。
如何に生活が貧しくても、自分の周りの環境をどう作っていくかが大事であり、
常に人間性を高め、上品なものを取り込んでいくことで成長できる。
自分の世界を作り出すと、貧しくなくなるのだ。
中国では、書や絵画には”気”が込められることも重要だという(気韻生動)。
古典学習から体得した品格を加え、気品を重視し、日々の思想・言動が
風格を表し、そこから自身の”気”も生まれる。
自身の作品にも、人としても、風格の備えた人物でありたいと願う。
書家として、今日まで「かな」、「漢字」、「篆刻」とそれぞれの分野において
幸運ながら書の大家である書家の方々の師事を受け、また、日展会友や
書道協会審査員を勤めさせていただいた。
多くの書法家・書家と違うところは、一流の書家に師事し、
それぞれの分野を徹底的にご指導いただいたこと。
これにつき、指導もできる立場に立たせていただいていることに、
師に対し心から感謝申し上げたい。
また、鈴木般山氏死去後、最後に師事を受けたのは
篆刻の大家である小林斗盦(とあん)氏。
この時、小林斗盦氏の壮大なスケールに篆刻家として大きな影響を受けたことも
記述したい。
中国から日本の書の伝統を振り返り、今日まで得られた書のことを
後世の皆様に伝えていこうと思う。
—
池田樵舟(しょうしゅう) :東山樵子(とうざんしょうし):本名:池田義信(よしのぶ)
日展会友、全日本篆刻連盟評議員、現代臨書展運営委員、
審査委員を勤め、現在は書印会を主宰。平成30年三鷹書人の会入会。
【篆刻略歴】
・1996年(平成8年)4月 鈴木般山氏に師事
・同年8月 第13回読売書法展初入選
・同年11月 第28回日展初入選(以後10回入選)
・1997年(平成9年)全日本篆刻連盟展評議員に昇格する
・2000年(平成12年)3月 鈴木般山氏、不慮の事故により急逝
・同年5月 内藤富卿氏に就く
・2003年(平成15年)8月 第20回読売書法展に於いて読売新聞社賞を賜る
・2005年(平成18年)小林斗アン氏に師事、又この年より小林斗アン氏、
老齢により綿引滔天氏の紹介を受け師事する
・2009年(平成21年)1月 読売書法展理事に昇格する
・2014年(平成26年)10月 改組第一回 新日展入選
・2021年(令和3年)全日本篆刻連盟 理事
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