sara 桜羅読み物物語のある町山形県

歴史は勝者により語られる 義経と郷御前

歴史は、勝者により語られる。
例え事実と異なることでも、勝者側に立って書かれるので、
事実と異なること、その影に埋もれる人の如何に多いことか。


山形県最上町の瀬見温泉。
風光明媚な小国川清流沿いに佇む瀬見温泉は、
義経一行が源頼朝の追手を逃れて平泉を目指していた際に発見したという。
義経と同行していた北の方(正室・郷御前)が産気づき、
弁慶が産湯をみつけたのがはじまり。


『義経記』に、旅の途中、羽前国の亀割山で義経の女がお産をしたとあるが、
亀割山というのは新庄市と最上町との境界に位置する山で、
今でいう最上町、瀬見温泉周辺となる。
瀬見温泉周辺には、この伝承に由来する「弁慶の投げ松」や「産湯発見の跡」
「義経弁慶の硯石」等、数々の見所があります。

http://yamagatayama.com/archives/3378


義経というと、静御前が有名ですが、
実は、義経が最も愛した人は北の方だといわれている。
義経の愛する人といえば、世に中的には静御前が有名であり、
正室の郷御前はあまり知られていない。


それもそうで、鎌倉幕府側が書いた『吾妻鏡』には、義経側のことが
詳しく書かれていない。
御家人に頼み、その娘の郷御前を義経の正室にしたのは頼朝であるが、
義経と関係が悪化した後は、依頼した御家人(河越 重頼)を
殺してしまったのだからあまり書きたくなかったと推測できる。


世に知られている静御前は、都一の白拍子(女芸者)だったので、
いわゆるトップスター。演出効果が高い為か、題材に多く取り上げられている。
また、鎌倉側に捕まった静御前を問いただす頼朝のシーンが有名ですが、
それをフォローする政子のやりとりに、度量の深さをアピールしているとも
いわれています。


都一のトップスターであった静御前だが、義経が都を追われる身になると、
静御前は奈良の吉野で帰されてしまう。
(その他10人以上いたという愛人も都を追われる際に解消する)


その点、郷御前はボロボロになっても、一緒に山を越え各地を逃げ回り、
義経最期の時まで身を共にしています。
恐らく、義経も然り、郷御前は芯から義経を愛していたのだと思います。
義経が最も大切にしたのが郷御前だったという説は
少しずつ明らかになってきました。


瀬見温泉は江戸時代には戸沢藩(現在の新庄市)の城主の奥座敷として栄え、
その後、良質な温泉が評判を呼び湯治場として発展いたしました。
歴史好きにはたまらない場所でありますが、なかなか知られていないのが残念です。
時に歴史の息遣いを感じつつ、山河清流の豊かな場所に身を寄せ、
良質な湯に浸かり、山形の美食に浸りたいものです。


義経・弁慶伝説の湯 瀬見温泉
https://www.pref.yamagata.jp/020026/kensei/joho/koho/mailmag/onsenoukoku/semi.html

[ – sara 桜羅 – ]

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