西行 流鏑馬と雅 【 西行花伝 / 辻 邦生】より一部抜粋
西行の出家前の時代のこと、西行がまだ佐藤義清という性を名乗っていた頃、
(当時14歳)親しかった従兄の佐藤憲康とよく流鏑馬を嗜んでいた。
当時はただ騎乗と弓を、ただひたすらに楽しんでいたというだけのものだった。
そこへ、偶然通りすがった源重実が二人を屋敷へ呼び、流鏑馬の作法を伝えた。
源重実
「・・流鏑馬には一定の作法があり・・弓の握り方、弦の引き方等・・
どれ一つをとっても、すべてあるべき型が定まっていて、それから外れると、
いかに矢が的を得ても、それは雅な匂いを失う事になる。
ここで大事なのは、的を射ぬくということと同時に、雅であるという事なのだ。
なぜなら雅であるとは、この世の花を楽しむ心だからだ・・。」
義清(西行)は、重実の顔を息を殺すようにじっと見つめていた。義清の顔には、
緊張の表情があった。「もう少し詳しくお話いただきとう存じます」
源重実
「矢を射る人は、目標を達した時はじめて安堵し、満足する。そうではないかね。
目標を達した時、人は満足し自分や自分の周囲を見まわす余裕ができる。
もはや、がつがつしないで済む。お洒落もしたくなる。おいしい物も食べる気になる。
花見にも行ってみようかなとも思える。しかし、がつがつしていたら、こうはならない。
余裕があった時初めてこの世を楽しもうという気になる。この楽しもうという心が雅なのだ。
雅とは、余裕の心のことだ。分かるかね。」
佐藤義清(西行)
「そこまでは分かりました。でも、分からないのは。どうして矢が的に当たることより、
雅であることが大事か、ということです。」
源重実
「それは、目的に達して満足した人が、かならずしも花を楽しみ、雅であるわけにゆかないからだ。
目的に達しても、またすぐ次の目的ができる。そうなると、常に目的に向かって息せき切って
走っていて、決して満足するときがない。満足とは留まることだ。
自分の居場所に気づくことだ。この世を楽しむには、まず留まることが必要なのだ。
矢を射る時、的に当てることだけを考える人は、目的を追う人だ。だが、矢を射ること
そのことが好きな人、当たれば嬉しいが当たらなくても嬉しい人、そういう人こそが
留まる人、つまり雅である人だ。」
佐藤義清(西行)
「当たらなくても嬉しいのですか」
源重実
「当たらなくても嬉しいのだ。矢を射ることそのことが楽しいからだ」
佐藤義清(西行)
・・できる事なら、両方とりたい。矢は的に当てる。だが、同時に雅であること・・。
当時西行は、どんな事も完璧にこなしてしまう性質で、あらゆることに長け、
また、追及する性分であった。しかし、この日の出来事は西行の考えに大きく影響したに違いない。
【西行と文覚】
詩人は旅に遊びます。山を越え、河を渡るだけでも風景が変わります。
その変化が五感を刺激し、想像力を生む力となるのでしょう。
李白や西行、芭蕉が旅を愛したことは有名ですが、僧でありながら歌を愛し、
芭蕉も追慕した西行とは、どのような人物だったのでしょうか。
西行が生まれたのは元永元年(1118年)。二十三歳で出家するまでは佐藤義清(のりきよ)
という武人で、容姿端麗、文武に優れていたといいます。
京都高尾山(神護寺)に経文を学ぶ為に多くの僧が集まっていた時の事、弟子を数人引き
連れた文覚(もんがく)という僧が、西行のことを「仏道修行の身でありながら歌を詠み
歩くなどけしからん。どこかで見合うことがあれば、頭を打ち割る」と、口を大にして
腹を立てていました。
その数日後の事、旅をしながら修行を続ける西行が「今宵一夜の宿を借りたい」と、
偶然にも文覚の前に姿を表しました。弟子達が見守るなか、文覚が立ち上がり障子を
あけて西行をまじまじと見つめると、やがて二人は親しげに話し始めたのでした。
次の日に弟子の一人が「どうした訳なのでしょうか」と不思議に思って文覚に尋ねると、
「あれは文覚に打たれるような人物ではない。文覚を打つほどの者であった」と、
西行の面魂を称えたといいます。
文覚は湯河原に縁の深い源頼朝とも関係を深め、挙兵の為の助力もしました。
後に西行も文覚によって頼朝とも会見し、親睦を深めていきます。
【西行桜】
世阿弥作の能として有名な西行桜。舞台は夢の夜桜。
僧として、歌詠みとして今も多くの人を魅了し続ける西行は、
桜をこよなく愛しました。
できることなら、最後まで桜を見ながら死にたいと願った西行は、
山家集に以下の歌を残し、本当に桜と共に事をなし終えました。
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願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの
望月 ( もちづき )の頃
意味:
できることならば、春、満開の桜の花の下で死のうと思う、
お釈迦様が亡くなられた二月十五日に満月が照らす頃に。
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芭蕉も追慕した西行とはどのような方だったのでしょうか。
【 西行花伝 / 辻 邦生】は、 多くの書籍の中でも特に
詳しく鮮明に西行の人生が描かれています。
[ – sara 桜羅 – ]