sara 桜羅読み物物語のある町山形県

日本だけではなく、世界中の人々が励まされた『おしん』

コロナの影響で打ちひしがれて亡くなる人が多いなか、
何か励みになる言葉がないか思いを巡らし、「おしん」に辿り着いた。

 

主人公・おしんは、明治、大正、昭和という貧困・戦乱・復興の中を生き抜いた。
おしんの映画には、おしんが苦難を乗り越えていく中で、多くの人に支え・支えられ、
「人として本当に大切な物は何か」というメッセージがたくさん込められています。

 

『おしん』は1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日ま
でNHKで放送。スリランカ、インドネシア、フィリピン、台湾、香港、
ベトナム、アフガニスタン、シンガポール、エジプト、イランなど
世界68か国や地域でも放送され、「世界で最もヒットした日本のテレビドラマ」と
いわれています。

 

物語は明治40年(1907年)の春、明治も終わりにさしかかった山形県最上川上流、
貧しい小作の娘・谷村しんの少女時代から始まる。
当時、日本の各地の貧しい農家では、貧しさ故に、小さして奉公や売られたりしていた。
おしんもまた、7歳の時に口減らしのために奉公に出るよう命じられる。
そこからおしんの、苦難と困難に満ちた人生が始まるのだが、
その中でも懸命に生きようとする姿に世界中の人々が励まされた。

 

『おしん』誕生のきっかけは、原作者の橋田壽賀子へ寄せられた1通の手紙であった。
ある明治生まれの女性が、人に言えない過去を病床で綴ったものである。

 

– 橋田壽賀子が当時を語った文章 (母たちの遺産/引用)–
私はある女性から分厚い手紙をもらった。
そこには苦界に身を落としながらはい上がっていった人生が綴られていた。
明治から昭和までを生きた女たちの道のりをもっと知りたいと思い、
週刊新潮の「掲示板」に「手紙をください」と書いた。
すると段ボール箱がいっぱいになるほどの手紙が寄せられ、その1通1通を
涙がにじむ目で読んだ。
これを『母たちの遺産』と題し、『主婦と生活社』に連載していき、
『おしん』が誕生することになった。

 

多くの人の貧困と飢え、戦争という時代・・
自身の運命を自分以外に委ねられていた時代、自身で人生を選択できず、
生きたくても生きられず、病で命を亡くしたり、何も楽しみも得ることなく、
製紙工場で短い生涯を閉じてしまう話もある。戦争で明日をもしれない。
そうしたことが当たり前だった時代の実際の物語。

 

当時、放送化にあたり「地味」だということで、どのテレビ局にも断られたという。
しかし、結果的におしんは多くの人から共感が寄せられテレビドラマの最高視聴率記録した。
現在、「母たちの遺産」は絶版であるが、ぜひ後世の人の為にも復刊してほしいと思う。

 

『おしん』という字は、「信じる、真、心、芯、辛抱、新」などの「しん」と
されており、今の人々は豊になったけれど、様々な「しん」を
忘れてしまったのではないかと、作者は危惧している。

 

しかし、こうした困難な時だからこそ、「思いやる心」、
「言葉の力」「真心」のあり方、重要性が説かれています。

 

『おしん』の懸命に生きる姿、『おしん』が支え、支えられる姿は、
多くの人へ生きる糧となり、「人として本当に大切な物は何か」を感じさせられると
確信しています。
[ – sara 桜羅 – ]

 

『おしん』NHKアーカイブス

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