『禅の言葉』―『無』
禅は深山幽谷の大自然の中で思惟思索をめぐらし、
座禅を行って無の境地に入り悟りに至るという意があります。
石や砂などにより山水の風景を表現する「枯山水」。
禅寺などには、修業の為、枯山水が設けられています。
しかし、何故「無」にする必要があるのか。この一字が、
意外と簡単なようで一番難しいのではないでしょうか。
無にするというのは、何もないというのではなく、
逆にいっぱい入ると言われています。
雑念ばかりが心を支配していたら、新たな思考を抱く余地がありません。
心を「無」にし、物の真髄を見きわめ、何が本当に必要なのか考え、
人間の尊厳を考える。それが本当の無の境地だと言われています。
茶の湯は禅の影響を強く受けており、茶席では誰もが煩悩や諸感情を
すべて捨て、客と亭主とが心から一会の茶の湯を楽しむ。
また、それを通してお互いの心を無にしていきます。
[ – sara 桜羅 – ]