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竹久夢二、彦乃に寄せる生涯の真実の恋

大正ロマンの美人画で有名な竹久夢二。

誰もが知る美人画家だが、あまり詳しくは知らない。

ただ、多くの女性と縁があり、多くの女性を愛しんでいた、

という人物くらいにしか思っていなかった。

今回、伊香保で目にした夢二記念館に立ち寄っていなかったら

一生そのように思って終わりだったかもしれない。

この記念館の展示物はあまり多くはないが、

特別展示室に夢二の人生を大きく変える

彦乃の存在が紹介されている。

 

二人寄り添う写真。

日本画の中から生まれたような彦乃の顔立ち。

そして二人寄り添う絵姿「遠山に寄す」。

男は山を見つめ、女は河を見る。

「河」は夢二、「山」は彦乃。山と河は一つである。

 

当時、一緒になることを親に反対されていた二人は、

暗号を使って気付かれぬよう手紙を交わしていた。

激しく愛し合った二人だが、運命は皮肉にも二人の間を引き裂く。

後に、彦乃は病で早くに亡くなり、夢二とは今世で結ばれなかったのである。

しかし、夢二は「遠山に寄す」この絵の中で、二人を結ばせた。

夢二の作品の中で最も大作と言われる作品は、

夢二が亡くなる数年前に描いたといわれる「青山河」。

榛名山に寝そべる女性の裸体は彦乃の寝姿であり、

絵の裏には夢二の筆で、この絵のタイトルと、

「山は歩いて来ない。やがて私は帰るだろう。榛名山に寄す」

という言葉が書かれている。この言葉から、最後まで榛名(彦乃)に

帰りたいと願っていたことが伺える。

そして同じく夢二が亡くなる3年前に描いた「榛名山賦」は、

榛名山の春の女神 「佐保姫」を描いたもので、彦乃がモデルといわれる。

※夢二は多くの作品を手放す中で、この作品は手放さなかったという。

 

また、自らを描いた小説「秘薬紫雪」も、彦乃とのことを描いており、

様々な形で愛の軌跡を残している。

夢二がどれほど彦乃のことを思っていたか、これらの作品から汲み取れる。

事実、彦乃のことは「最愛の女」「永遠の女」「最良の伴侶」といわれている。

人は、多くの人と出逢い、愛を交わす。

しかし、互いに胸を焦がし、愛おしみ、慈しみ、

真実の愛と呼べるものは如何ほどであろうか。

人生は儚い。あっという間に過ぎる。

 

欲望のままだけに時を過ごし一生を終えるか、

自身の欲望から生まれる連鎖的な飢えの苦しみを自ら絶ち、

心の底に閉じ込めた、切望してやまない真っすぐな愛に

勇気を持って向き合うか、人の選ぶ道は様々である。

夢二の一生を見ると、数々の女性とのロマンがあるが、

彦乃の存在と比べると、比べ物にならない。

恐らく、夢二自身、自然と湧き上がる欲望とは裏腹に、

心の寂しさを埋められない何かが常にあったのではないだろうか。

夢二に魅せられた理由は、彦乃に見せた素顔。

一生懸命に愛し合う切ない二人の姿。

生涯忘れられなかったという、美しい思い。

 

こうした夢二と彦乃の二人の存在に心救われる人は多いのではないか。

騙し合い、憎しみ合い、奪い合い、争うばかりの愛が多い世の中で、

二人の存在は絶望から救い出してくれる。

そして、多くの女性達と彦乃とでは、まったく別として重きを置き、

彦乃へ寄せた想いが、真実の愛として夢二の真価が表れている。

二人が深く愛し合ったのも、理由は分からないかもしれない。

ただ、ただ、自然に、深く、純粋に愛し合えた。

夢二との短い同棲期間の中で残した彦乃の言葉がとてもいじらしい。

 

「夢二さんはいつまでたっても好きな人だと思う。

好きだというより離れられない人だと思った。

自分はどんなに幸福か知れない。」

 

当時、彦乃23歳。夢二34歳。

親の反対をよそに、二人は同棲を始める。

その2年後に彦乃は結核で病に伏してしまうのだが、

夢二も後に51歳で同じく結核で生涯を終える。

夢二は、彦乃が亡くなる前年に、『山へよする』という、

2人の恋の思い出を綴った歌集を出版。

そして彦乃が亡くなる半年前には、伊香保の榛名を訪れている。

上毛三山(榛名山・赤城山・妙義山)の中で、最も女性的な優しさを持つ榛名山。

四季折々に美しく変化する雄大な榛名の山並みは、

夢二の心を包み、その稜線に夢二は「山」と呼んだ彦乃の面影を

重ねていたのかもしれない。

[ – sara 桜羅 – ]

 

竹下夢二伊香保記念館

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