戦争の学びと、青春の誉れ
そんな大戦時に少年たちが集ったのは、茨城県阿見町にある『予科練』という航空機の操縦者を育成する訓練学校。神奈川県横須賀市で教育がスタートした時は、予科練の第一期生は志願者5807名の中から、79名の合格者が出ていました。その倍率は実に73倍という高倍率です。移転後「予科練教育の中心地」となった土浦海軍航空隊の跡地は、現在では陸上自衛達土浦駐屯地武器学校になっています。
予科練の青年たちは学生服に7つのボタンというシンボルを背負い、月月火水木金金の厳しい訓練に明け暮れながらも、仲間たちと青春を謳歌し、世界中(7大陸、7大洋)に日本の栄光のため、戦いに赴いていったのです。 ですが、予科練の訓練生たちが、青春の多感な時期に厳しい訓練に精励努力していたとしても、研鑽に身を焦がしていても、その先に待っているのは名誉と家族の生活向上という良い面だけではもちろんありません。
そう、誰も容赦などしてはくれない、死と隣り合わせの戦場に身を投じなければなりません。 銃口を向けられる恐ろしさ、仲間が死んでいく悲しさ、きっと数えられない程の不幸がその戦場にはあったでしょう。 命を奪う行為も奪われる事も、現在の私たちには身近には感じませんが、きっと命を背負った予科練の卒業生だけでなく、その家族にも愛する息子の死はきっと、つらい思いのはずです。
予科練を通じて、青春と研鑽で名誉を手にしようとした訓練生達がいたことを。そうして卒業して航空機の操縦者になり、戦地にて殺し合いをしていたことを。ぜひ、これを読んだ皆さんは、予科練平和記念館にて学びを増やしていただけたら幸いです。