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文楽「妹山背山の段」~永遠の愛、永遠の生命

文楽の「妹山背山の段」は永遠の愛に生きる男と女の物語である。永遠の愛に生きるとは、永遠の生命に生きることである。物語は弥生の頃、大和の奥地。吉野川がこの地を妹山と背山に別けていた。大判事家の息子久我之助は背山の山荘に来ていたが、これを知った太宰家の娘雛鳥もまた病のふりをして療養と称して妹山の山荘にやってきた。深く想い合う二人は、川を隔てながらも顔を見合わせるだけで愛に包まれ、心はひとつであると確認できた。

 しかし、妹山の山荘に雛鳥の母があらわれ、雛鳥を入鹿(帝)の許に入内させると告げる。雛鳥は驚き、うろたえ、涙ぐむ。母は語る。一旦思い染めた男に立てた操を破れとは言わぬ。しかし雛鳥が入鹿への入内を拒否すれば、大判事家の久我之助は切腹させられる。久我之助を助けるも殺すもお前の返事ひとつ。お前の貞女の立てかたを見たい。雛鳥は久我之助のいのちを助けるため、泣きながら入鹿への入内を受け入れる。

 一方、背山の山荘にも久我之助の父である大判事があらわれる。久我之助は主家の娘を庇ったことが仇となって入鹿から罪を着せられていた。父大判事は息子久我之助の行いを褒めながらも苦しむ。久我之助は父大判事に手をつき、切腹の赦しを請う。久我之助が入鹿の許に出仕しても拷問され責め殺されるだろうと察した父は、嘆き悲しみ、しかし決然と根を断つべく切腹を許す。久我之助曰く。命が二つあれば、一つは死んで帝に忠義を立て、一つは父へのご恩を送るのに、心残り、と。

 場面は妹山に戻る。雛鳥は入鹿への入内を受け入れたものの、夫婦一対で添い遂げるのが雛の徳、その夫と引き離されて入内して何の后かと号泣する。即座に母にもすべてが見えた。雛鳥をこのまま入内させても必ず自害するであろう、そうなれば久我之助もあとを追って自害するに違いない。こうなればせめてよそ様の子久我之助だけでも助けなければならない。ついに母は心を決め、入内はさせず、雛鳥の首を斬って入鹿に渡すと告げる。それを聞いた雛鳥はぱっと顔を輝かせて喜び、感極まって母を伏し拝む。母は雛鳥を抱き締め、祝言はせずとも、久我之助の妻として死ぬようにとうったえる。

 川を隔てた背山。父大判官の許しが出ると、久我之助は間髪入れずに刀を取って腹に突き刺した。父大判事はあわてて、何ゆえ死ぬまえに雛鳥の顔を一眼見ないのか! 久我之助曰く。そのような未練な性根ではありませぬ、自分が自害したことを知れば雛鳥も後を追うゆえ、自分が死んだことは雛鳥には伏せてください。雛鳥の母御には自分は入鹿へ出仕したとお伝えあれ。雛鳥のいのちだけは助けたい。まことの夫婦の潔白の証である。父大判官は息子久我之助の言う通りに約束の花の枝を吉野川に流す。花の枝が流れていくのを見た雛鳥は久我之助の無事を喜び、思い残すことはないとして母に首を斬るように乞い願う。日が西へ沈むのを見た母はそれが娘のお迎えであると思い切り、娘の首を討ち落とす。そして返事に花の枝を流す。対岸から流された花の枝を見た瀕死の久我之助もまた雛鳥の無事に安堵し、父に介錯を願う。

 しかし大判事は悟る。雛鳥の母は久我之助のいのちを助けるために雛鳥の首を討ったのだ。雛鳥の母もまた久我之助が雛鳥のいのちを助けるために切腹したことを悟る。母は娘の首を抱き、せめて久我之助の息があるうちに娘を嫁入りさせよう、雛鳥の首を乗せた琴と雛人形の嫁入り道具を吉野川に流す。大判事は涙に任せながら雛鳥の首をいただいて久我之助に抱かせた。そして宣する。久我之助と雛鳥は双方の親が赦した未来永劫に変わらぬ永遠の夫婦である。忠臣貞女の操を立てて死んだ者、そう名乗って閻魔の庁を通れと叫ぶ。瀕死の久我之助はその父の声を聴きながら満ち足りて目を閉じる。大判事は久我之助の首を討ち落とし、二つの首を大事に抱き参らせた。

日本の文化伝統そして日本人のこころ
古鳥史康

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