sara 桜羅読み物物語のある町埼玉県

渋沢栄一 幼少時代と心の根幹 

今、大河ドラマで話題渋沢栄一は、我が郷土の偉人である。数ある伝記の中で、幸田露伴の伝記が最もよいと知り得たので読み始めてみると、これが実にいい。
渋沢栄一の心の根幹からよく調べられ、如何にしてあのような大人物になり得たのかが伺いしれる。ドラマの進行と合わせ、伝記でも紐解き、少しずつ紹介していきたいと思う。※世に多くの文献があるので、ここでは特に心の根幹をご紹介したい。
===
幼少の頃から紐解くと、まず第一に栄一は父母に恵まれた方であった。母親は慈仁の情が深く、人の貧困病患等のことを視聴すると、暗然として涙を含み、これを救わんとするに至ったという。
六歳になると栄一は父市郎右衛門から読書や習字を授かり、八歳には論語の素読を受けた。二人の子を失った後に得た栄一に読書・習字を自ら授けた父は、如何に楽しくもまた優しく愛に満ちて教えたことであろう。
教育というものは言語・文学・算数等の知識を授けるのみではない。人の心の発達展開を正しく美しい方へ傾向づけることであるから、その初頭において父母より愛を以て教えられ導かれるのは絶大な幸慶であり、自己を玉成するに至るの勢いを有つものである。
また、十代より十も離れた従弟の尾高新五郎より学んだ学問は、大きな影響をもたらした。そもそも新五郎は村の名主であったことから幼少より四書や書道、剣道など多くの専門家から学んだ。そして十四・五歳になると家業に従い米塩油等を扱い、教養だけでなく商いの才覚も一目置かれるようになる。栄一も十二・三歳から増々勉学に励み、三国志に始まり里美八犬伝、十八史略、文選、論語、史記等を読み進め、二十歳前にして一かど教養ある青年となり得た。栄一が新五郎に就いたのは幸運であった。その爽利な学問の方法と、能く自ら教うる習慣とをも知らず識らずの間に受け取ったのである。

※新五郎、栄一共に、名だたる専門家にも学んでいたことが記されているが、
ここでは感化された人物に焦点を当て、省略させていただく。


===
大河ドラマでは、栄一の幼少時代が全2話で終わってしまい、上記のような内容が省かれているのが非常に勿体ない。しかし伝記だからこそ、味わえるものであるともいえる。
幼少の栄一が獅子舞を踊った神社(諏訪神社)は今も血洗島に残り、毎年10月に変わらず獅子舞の行事が行われる。渋沢栄一も晩年になっても、この地を訪れ、獅子舞を楽しみにしていたという。

[ – sara 桜羅 – ]

おすすめガイド