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中村吉右衛門(歌舞伎俳優/人間国宝) 追悼のお言葉

歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門氏が、2021年11月28日にお亡くなりになられた。
中村吉右衛門氏は時代劇「鬼平犯科帳」で馴染みが深い。
この「鬼平」の主役、長谷川平蔵役で30年近くにわたり演じ続け、
重厚な演技で圧倒的な存在感と人物造詣の深さが高く評価された。


「鬼平犯科帳」の舞台は江戸時代だが、人の情理は今も昔も変わらず、
百人百様の心の状態や変化を映し出してきた。
人々の心の奥底に潜んだ琴線に触れる出会いや言葉、思いが綴られ、
映画に関わる人も、見る人も、常に心に湧き上げるものがあったのではないか。

原作者の池波正太 郎 氏は、早くに戦争に駆り出され、死ぬ覚悟で戦場に赴いたという。
日々が一刹那に感じられるからこそ、作品にも心の重みが表れるのだと感じる思う。
大作家である池波正太郎氏と、大俳優である中村吉右衛門氏のにより、
これほどまでの大作が出来上がったと言える。


昔の日本映画(時代劇)はもの凄くレベルが高かったという。
昭和時代には数々の名作が描かれ、世界中からトップクラスの映画監督が
日本の映画を学びに来た。その栄華が残るのも、中村吉右衛門氏演じる
「鬼平犯科帳」までなのではないか、と言っても過言ではない。


今、世界各地で自国の文化や歴史、思想を掘り下げ見つめなおす名作が数々作られている。
日本も、池波正太郎氏と中村吉右衛門氏の残した思いを忘れず、人々に希望を与え、
日本の文化を見つめなおす名作作りが行われることを願いたい。
「日本の映画は文化である。
何故なら、映像には当時の日本、日本の思想が込められているから。」と、
映画界重鎮の宮島正弘氏も述べている。


「鬼平犯科帳」の心に残る言葉をいくつかご紹介したい。
ぜひ映画でも実際にみていただきたいシーンである。


【鬼平犯科帳名 「お菊と幸助」より~露の情け~】

「露の情けじゃ」
「戯れ歌の文句にもあるではないか」

「土手の芝 人に踏まれて一度は枯れる
 露の情けで よみがえる・・とな」と歌う


解説:
道ばたに咲いていた草花が誰かに踏みつけられ、
瀕死の状態ではあるが、雨のつゆによって力を取り戻すというもの。
草花は、何も言わない。でも、大切に扱う事で、色鮮やかな花等で我々の心を癒してくれる。
気づかずに踏んだ、草木につゆの情けですか。風流ではありませんか。


【馴馬の三蔵(なれうまのさんぞう)」】

鬼平に本心を晒さなかった密偵(蟹江敬三さん)が
心の内を鬼平に吐露しようとした時、それを遮っての一言

「いくら言葉を重ねてみても、
人の心の奥底は語りつくせねえもんだ
そいつを口に出しちゃあ味ない味ない」


「人間は、いいことをしようとして知らず知らず悪いことをしてしまう
また、悪いことをしていて知らずいらず良いことをしてしまう。それが人間というものだ。」


こうした言葉は、演じる側としても度量がないと演じきれない。
今の映画は、悪と善を完全に切り分けて、良いものの視点からの映画ばかりである。
しかし池波さんの作品はそうではない。しっかりと人間の心を捉え、むき出しにしている。
不条理だらけで複雑な世の中だからこそ、こうした言葉にある種人間を受け入れる懐を
教えていただいているような、そのような思いが込み上げてくる。
名作も、名言も、心に残る思い出も、その人が亡くなってしまった後も人々の心に生き続ける。


中村吉右衛門

http://www.actors.or.jp/kyokai/yakuin/yakuin_08.html

池波正太郎 公式サイト
http://ikenami.info/

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