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日本の民謡に現れた仏教思想

日本人は正月、お盆、春秋お彼岸に先祖がこの国土へ帰り来るとの霊魂観念を持っており、
その折に先祖を迎えて交歓舞踊するもので、仏教の解説によって亡魂供養が広まったといわれています。 
そして、一説には、すべての芸能は神や霊に対する鎮魂、呪術舞踊に出発し、
死霊や怨霊による凶作や疫病をさけるために呪文、呪声、仮面、呪具、があり、
呪具はやがて風流へ発展し、呪文は歌謡や念佛へ、呪舞は舞踊や行道へ発展したといわれています。


日本の童謡にも、その歌詞が生まれた背景や因縁があり、仏教思想によるものがあることが
うかがえます。


「かごめかごめ」と歌う童謡「かごめ唄」があります。

【かごめ唄】
かごめかごめ  籠の中の鳥は  いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?


鬼になった子どもが目を隠して真ん中に座り、その子の周りを輪になってうたいながら回り、
歌が終わった時に鬼は自分の真後ろに誰がいるのかを当てるあそび歌です。


この歌には、お経の物語(かごの中の2羽の鳥の話)が背景にあります。
二羽の鳥が捕ってカゴに入れられて、餌をたっぷりと与えられます。一羽の鳥は、
こんなおいしいものはないとたくさん食べて太っていき、
もう一羽はやせていけば籠目の隙間から外に出て自由になれると考え、何も食べずに痩せていった。
何日かすると餌を拒んだ鳥は網の隙間から外へ出て自由を手にします。
餌を食べて太った鳥は、人間の食卓へとはこばれて行くという物語です。
その時の欲望におぼれず、外へ出て自由を手に入れたいという願いによって、自由を手に入れました。


日本では、明治維新まで日本各地の寺や神社の重要な役割の一つとして、
幼児と子供たちに対する教育機関の働きがありました。
僧侶や神職の人たちは、仏や神々と民衆とを結びつける懸け橋の役目を担っていたからです。
幼き子供には優しく仏法や神話を説き聞かせ、読み書き算盤(そろばん)はもとより、
職業訓練の場としてまで広く機能していたのです。
地域の神社仏閣は、その住民すべてと神職僧侶によって形づくられたコミュニティであり、
それこそゆりかごから墓場までの福祉と相互協力が自然に生まれていたといえます。


子供の時から仏道と神道に深く馴染み、神仏の実在を当然のこととして信じ、
善悪の判断が自然に行えるようになれば、そのように成人した大人たちの社会は犯罪とは無縁で、
江戸徳川三百年の泰平がもたらされたのも当然かもしれません。


大陸から伝えられた仏法は、空海らによって紀伊の山中に高野山として開基した頃に、
やがて全国へと広まりました。それと共に京の都の文化の一つとして「かごめ唄」もまた、
子供たちの世界を通して全国へと伝わることになりました。


かつて、日本をこよなく愛し、研究した小泉八雲も
日本の民謡に現れた仏教思想を下記のように解説しています。(少し現代語訳に解説)


日本民族の心の土壤が如何なる程、仏教の理想に潤されているだろうか。
過去に於て佛敎が如何なる感化を日本に及ぼしたかということは、
日本に來た西洋人の目にも到る所で明かに映じてをることである。
一切の美術乃至大部分の工業的作物は象徵主義に訓練された人の目には
常に仏教傳說の表現として映じているのである。


人々の言葉は昔ながらに佛敎口調で詩化されている。
文學も戲曲も依然として仏教言葉で滿されている。
街道で最も普通に響いてをるうた――戲れてをる子供の歌、働きながら歌つてをる勞働者の齊唱、
街頭で大聲張り上げて物賣り步く商人の叫び――是等の音ですら私の耳には
尊者、菩薩の物語や、お經の句を思ひ出させることが屢〻(しばしば)ある。


ここまで読むと、歴史の中で培われた大切な心、習慣が長きに渡り受け継がれてきたことが分かります。
そして同様に、大切な心や習慣が失われていることも事実だと感じています。
我々は、この「かごめ唄」に出てくる鳥のように、例え今は苦しくても、
一生を見極め、一人一人が幸せな道を選択していくことを祈っております。

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