鷹狩り
中国では秋、日本では冬に行った「鷹狩り」。
鷹狩りの伝承は『日本書記』で書かれたのが始まり。
当時「阿弭古(あびこ)」という者が「怪しき鳥」を捕って
仁徳天皇に献上すると、天皇が百済王族の酒君(さけのきみ)に
これは何かと尋ねる。
酒君は「よく飼い慣らせば人に従い、諸々の鳥を捕ります。」
と答える。これにより、酒君がここの鷹を調教するようになり、
鷹狩りが始められたといいます。
日本最古の和歌集『万葉集』には、大伴家持(おおとものやかもち)
がこよなく鷹を愛し、幾度となく短歌として登場します。
【放逸せる鷹を思ひ、夢に見て感悦して作る】
意味:自慢の鷹を、まぬけな老人が逃してしまった。
憤りは火と燃える。鷹を慕って思い、神に祈ると夢に出て、
7日以内に帰ってくるので待ちなさいという内容。
なんとも愛嬌がありますね。
※大伴家持は奈良時代の貴族・歌人。『万葉集』の編纂に拘わる。
その後、鷹は「蜻蛉日記」「源氏物語」「大鏡」等、
数々の書物や描写絵にも描かれていきます。
平安初期は桓武天皇はじめ、多くの諸帝が鷹狩りを好み、
戦国時代にも武士の間で流行しました。
織田信長、豊臣秀吉、徳川幕府とも鷹狩りは続きますが
徳川五代将軍の「生類憐みの令」により、捕獲が禁止される。
農民からみると、鴨や雁などの鳥獣は作物を荒らす存在ですが
捕獲すれば罰せられ、難事であったといいます。
※写真は1624~28年頃の江戸城・鷹部屋
[ – sara 桜羅 – ]