小田原三茶人
箱根強羅公園内に存する茶室「白雲洞茶苑」は、
大正時代のはじめ、千利休以来の茶人と称された鈍翁
(茶号どんのう=益田孝)により建設された。
※現・日経新聞創刊者、現・三井物産設立者
鈍翁は小田原三茶人といわれ、
小田原で近代茶道を極めた三人のうちの一人。
※益田鈍翁(益田孝)、野崎幻庵(野崎広太)、松永耳庵。
(鈍翁(どんのう)、幻庵(げんあん)、耳庵(じあん)と
それぞれ茶の号を持つ)
「白雲洞茶苑」は一時横浜の富豪である原三渓の手に
渡るが、やがて松永安左ヱ門が所有することとなった。
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茶道の世界に大きな影響を与えた氏による茶会は
さぞかし趣向が凝らされたのだろうと思うと共に
遊び心や茶ならではの味わいを存分に感じられる
ものだったのではないだろうかと想像する。
そして、今も三茶人の心意気を受け継ぐ茶人達が会を設け、
こだわり抜いた会が年に何回か開かれている。
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茶席は、茶席の庭、庵に至るまでの小路、時季までも考えた
岩や草花の造形、庵の中もそこかしこに利休や鈍翁が
好まれたであろう空間美が見え隠れする造りで、
それを自然に感じさせる計算された美しさがある。
季節は桜の散り終えた雨の降りしきる頃。雨のしたたる日。
館長がもてなしてくれた庵には、
雨が一夜にして花を散らし、花の香りに満たされている
ことを詠う軸がかけられてあった。(松永安左エ門墨跡)
亭主の心遣いと、季節を愛でる思い、さり気ない茶の心意気は
確かに今この瞬間が二度とないように慈しむが如くもてなす
思いが感じられた。
この季節が訪れる度に、今日のこの日を思い出すに違いない。
小田原三茶人
■益田孝
1848年(1938年亡)、現在の新潟県佐渡市相川に生まれる。
青年期にハリスから英語を学ぶ。明治維新後は大蔵省に入り、
やがて現在の日本経済新聞や三井物産を設立。
その後、渋沢栄一と共に活動を広げ財界の頂点に立つ。
晩年は小田原に隠棲し、茶道復興に大きく寄与した。
■野崎 廣太
1859年(1941年亡)、現在の岡山市北区平野に生まれる。
現・日本経済新聞の編集に関わる中、
慶應義塾大学に入り福澤諭吉の門下生となる。
現・日本経済新聞社長、三越社長を経て
晩年は小田原の別荘にて過ごす。
■松永安左エ門
1875年(1971年亡)、長崎県壱岐の商家に生まれる。
福澤諭吉の『学問のすすめ』に感奮興起し、慶應義塾に入学するも、
父の突然の死により帰郷、家督を相続した。
数年のち、21歳の時再び慶應義塾に戻り、福澤諭吉や
福澤桃介(福澤諭吉の婿養子)の知遇を得、日本の電力王へと進む。
第二次世界大戦後は小田原に移り住んだ。
[ – sara 桜羅 – ]
小田原三茶人
http://ja.wikipedia.org/…/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E4%B8…
箱根強羅公園
http://www.hakone-tozan.co.jp/gorapark/
[ – sara 桜羅 – ]