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日本一の技と伝えられている井波彫刻

日本の伝統技術として、日本一の技と伝えられている井波(いなみ)彫刻がある。
その歴史は江戸時代中期に始まり、瑞泉寺(現在の富山南砺市井波)
本堂再建のおり、京都本願寺より御用彫刻師・前川三四郎が派遣され、
その際地元大工・番匠屋九代七左衛門ら四人がこれに参加し、
前川三四郎について彫刻の技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりである。
この瑞泉寺勅使門(ちょくしもん)菊の門扉、両脇に彫刻した「獅子の子落とし」は
七左衛門の代表作で、狩野派風な図柄で浮き彫りの技法が駆使され、
日本彫刻史上の傑作とされている。


その後、瑞泉寺は門前町として栄え、門流により江戸時代末期頃まで
神社仏閣彫刻など技法を競い、明治に入ると寺院欄間に工夫をこらした
井波欄間の形態が整えられた。特に初代・大島五雲は欄間彫刻の研究に没頭して
新生面を開いたといわれる。


井波彫刻は現在も名工らの子孫によって受け継がれているが、
この伝統工芸を受け継ぐ人物に、井波彫刻を10年修行した
中條大基(なかじょうだいき)氏に、話を聞くことができた。
中條氏は東京出身だが、親戚に伝統工芸者がおり、自身も幼少の頃から
伝統工芸を好み、自然と伝統工芸と身近な環境下で育ったという。
10代の頃に、井波の欄間師が5年に一人しか採用しなかった弟子を
探していることを探し当てて入門。
10年間そこで修行をして欄間師としての技術を徹底的に叩き込まれ、
その後2年のお礼奉公を済ませて30歳の時に帰京したという。


修行中は厳しく、同世代の彫刻師も途中で投げ出すなか、

当の本人は自分が好きでこの道に入ったので、
とても楽しく、遣り甲斐があったという。
師匠とその家族とは、10年も寝食を共にしたので、まさに家族のような関係になり、
当時がとても懐かしいと思いを馳せる。
現在は日本建築や寺院の建設、欄間彫り等が少なくなっているが、
これまで培った伝統技術を活かすべく、現在は東京で様々な活動を続けている。


中條大基(なかじょうだいき)

作品紹介
https://www.facebook.com/nakajou.daiki/

https://www.instagram.com/kashikigata.jo/?hl=ja


井波彫刻の伝統が色濃く残る富山県の井波の町は、
瑞泉寺周辺から門前町で栄えた様子を残し、石畳の美しい八日町通り沿いには
今も彫刻工房や町家が建ち並ぶなど、600年以上の歴史を誇っており、
伝統工芸士、一級井波木彫刻士をはじめ、組合員を含め約300名もの彫刻職人が
集中しているのは世界的にも珍しく、瑞泉寺の参道であり観光地化している。
この井波彫刻の近年の歴史の動きは、昭和22年に井波彫刻協同組合を結成。
昭和50年には通産大臣より伝統的工芸品の指定を受け、 2018年には井波彫刻を
核とした「宮大工の鑿(のみ)一丁から生まれた木彫刻美術館・井波」として
日本遺産に認定された。

「日本遺産」とは、全国各地の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化や伝統を物語る「ストーリー」を文化庁が認定するもので、2015年度から始まった。文化や物語の魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外へ発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としている。

現在、普段の生活から一流の彫刻に目を触れることは少なくなっており、
そうした日常も歴史の流れに目を向けると味気ない時代になってしまったが、
この日本の誇るべき伝統技術を再認識し、彫刻技法の素晴らしさに価値を見出す人が、
一人でも多く増えることを心から祈りたい。


井波彫刻協同組合
https://inamichoukoku.jp/home

http://www.inamichoukoku.com/

瑞泉寺
https://inamibetuin-zuisen-ji.amebaownd.com/

とやま観光ナビ
https://www.info-toyama.com/attractions/80089

VISIT富山
https://toyama.visit-town.com/toyamastyle/inami-tyokoku

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