武田信玄公 最期の場所
武田信玄公がその波乱に満ちた生涯を閉じたのは、
長野県阿智村であったと伝えられています。
元亀4年、野田城の戦いで勝利を収めた信玄公でしたが、
持病が悪化し、急遽本拠地である甲斐へと引き返すこととなります。
その帰路に選んだのが、当時すでに武田の領国となっていた伊那街道でした。
信玄公が「一刻も早く伊那へ」と願ったのは、そこが信頼の置ける
家臣と強固な城塞に守られた、安堵できる「自国」であったからでしょう。
険しい山道を越える際の激しい揺れや標高の変化は、
衰弱した信玄公の体に限界をもたらしたに違いありません。
信濃の国に入り、ようやく一息つける拠点であった駒場(阿智村)は、
同時に「これ以上の行軍は不可能」と判断せざるを得ないほど、
病状が深刻化した場所でもありました。
阿智村にある長岳寺(ちょうがくじ)には、
信玄公の遺骸を安置したといわれています。
寺宝として二種類の兜の前立てが所蔵されているほか、
境内には静かに佇む十三重の供養塔があり、往時を今に伝えています。
信玄公の死は、当時の武田軍にとって最大の機密であり、
その事実は固く閉ざされてきました。現在、この地が最期の地として
あまり世に知られていないのも、
当時の人々が命を懸けて守り抜こうとした「秘密」が、
今もなおこの地に息づいているからなのかもしれません。
長岳寺
長野県下伊那郡阿智村駒場569
https://www.vill.achi.lg.jp/soshiki/5/2009-11-post-94.html










